バイトを辞めた

辞めたというよりはバックれた。
当日に職場と社員から一回ずつ電話があったが、それ以降は一切音沙汰ない。


時給も待遇も最低最悪だけど人がとても良い職場だと思っていた。
みんながみんな全員良いという訳ではなかったが。
でも、それも一皮ひん剥けばただの醜い肉でしかなかった。


私は人間関係を構築するのがとても苦手だ。
それは画面上のインターネットでも、面と向かうリアルでも。


原因はわかっている。
自分自身の許容範囲が極端に狭いのだ。
ひとつでも自分の中の価値観や意志に反する面があると、絶望し、落胆し、そして侮蔑する。
それはもう修正が効かない。
効かない、というより、まあいいか、という風にならない。
我が強い強情な性格なんだと思う。
治さなければ、とも思う。
でも、治したら自分が今まで築いた自分というものが死ぬと思う。
それが嫌で出来ない。


簡潔にまとめると、職場で歳の近かった女がただの尻軽で、同じく歳の近かった男がそれにそそのかされるただのバカで、古株の男が生理的に無理になったからだ。
それに絶望して、もう拒絶の姿勢を取ろうとそれを実行した矢先にいつもと違うと感じたのか、やたら馴れ馴れしくなってきて何もかもが面倒臭くなったからだ。


拒絶の姿勢や冷たい態度と言っても私は小心者だから遠回しにしか出来ない。
ましてや、それを突っ込まれたら、ああはいそうですよ、お前らが嫌いだからな、なんて開き直れない。
同じ職場でそれは気まずすぎる。


どれだけ最悪な手段で関係のない色んな人に迷惑をかけても、もう、いいやと思った。
嫌なことから逃げずに立ち向かう気力など生まれつき備わっていない。


嫌なものは嫌なんだ。
なんで立ち向かう必要があるんだ。
立ち向かって心を壊すより、逃げてでも自分の居心地が良い場所を探す方が全然良い。
と、言い訳がましい言葉で自分を慰めた。

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師走

今年はいつもより痛い思いをよくする年だったと思う。

まず、年明けてすぐにインフルエンザになって全身の関節が痛くなった。
酔っ払ってタクシーに乗せられて降りる時に転んで指をひねった。
そのあと寝ゲロをして起きたら死ぬほど頭と胃が痛かった。
先月は職場のドアに指を挟んで骨折した。
いつかは忘れたけど彼氏に殴られた。
春先に私が5歳の時から実家に居た猫が死んだ。
フェスで頭を振りすぎて首や背筋が痛くなった。

痛い思いはなるべくしたくない。
肉体的にも、精神的にもだ。
痛い思いをすると嫌になる、悲しくなる、どうして自分がこんな目に、と卑屈になる。
次第にそれは怒りや憎しみに変わる。
そうなると自分自身で自分自身がコイツ面倒臭いなと思う。
それが嫌だ。

ざっくばらんに今年の出来事を書き連ねると、最悪な年か、と思うが、だいたいこんなもんだろう、とも思う。

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体感時間

バイトがもう4ヶ月ほど続いている。
たかが4ヶ月だ、と思うかもしれないが私はバイトをすぐ辞めてしまう。
理由は色々あったが要約すると働くことに向いていない、ということだろう。
今の職場はとても居心地が良い。
嫌な人もたくさんいるけど、それ以上に良い人のよさで全て無に帰す。

バイトが続いてから思ったのが1週間の経過がとても早く感じるということ。
別に今初めて知ったわけではないが改めて強くそう感じた。

無職の頃は時間が無限にあった。
だだっ広い時間を何もせずゴロゴロとしながら食い潰していった。
気付いたら夕方だったなど時間の経過は早く感じるものの1日1日は芋虫のようにのろのろとしていた。

こうやって週5でバイトに行って、休みの日は気ままに過ごして、平穏に何事もなく生きていくのだろう。

今までは生活や精神が安定するとその安定が跡形もなく崩れ去っていくことを恐れていた。
でも今はこのぬるま湯に浸かったような安定が死ぬまで続くことの方が恐ろしい。

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汚い眺め

私の職場のタバコが吸える場所は8階の非常階段だけだ。
8階ともなるとそこそこ高く、周りを見渡すことができる。
少し早めに出勤すると時間があるので私は8階へ行く。
タバコを吸いながら8階から見える景色を見る。
汚い。この街は汚いと本当に思う。
悪い意味は無い。ただただ汚いと思う。

古びた雑居ビルの屋上にある二度と灯りはつかないであろう麻雀と書かれた電光看板。
そのビルの中にある風俗店のキャッチがごま粒ほどの大きさに見える。
デリヘル嬢の送迎をする車が近くにずらりと並んで、来ては去っていき、来ては去っていきを繰り返す。

駅の近くの飲み屋街では怒鳴り声がする。
たまに瓶の割れる音も聞こえる。
喧嘩をしているのもたまに見かける。

駅のホームは人身事故が起きてブルーシートで現場を覆い隠す駅員の姿。
項垂れているサラリーマン、学生、若い男女。

この駅に初めて来たのは同棲する前だから四年前にもなる。
初めて来て電車を降りて、改札を抜けて街へ出た時に思ったことは、汚い。
ただただ汚い。

私の実家周辺と同じ雰囲気がしてなんとなく落ち着く。
人や街の荒廃具合も落ち着く。
ここに住んでよかったのかよくわからないけど悪いとは思わない。
良いとも思わない。

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聖なる乞食買いました

ザジジ純個さんと河童モルヒネさんの共同制作の冊子、聖なる乞食を買った。

私は映画や音楽、漫画、絵、食事などありとあらゆる物に関する感想を書くのが大の苦手だ。
かっこいい、面白い、可愛い、美味しい、つまらない、クソ。
など、その場で感じ取ったことしか言葉でも文字でも表現できない。
そのことを分かってもらった上で感想を書く。

ザジジ純個さんはTwitterで知った。ホームにあるURLを踏むとホームページへ飛んだ。そこで絵や漫画を見た。好きな作風だったのでフォローした。
フォローしてから少しすると聖なる乞食を販売するとのことで購入するに至った。
河童モルヒネさんのことは自分のような吸収することしか能の無い人間がフォローするのは非常に恐れ多いのでフォローしていない。

ページを開くとまずCDがぽろりと落ちてきた。
コンポにCDを入れて聞くと猥雑で混沌としていて、それでいてずっと聞いていたくなるような落ち着きのある曲が15曲入っていた。
このCDだけでも1000円の価値はあると思う。(っていうかこれだけ大容量なのに1000円って大丈夫かよ、と思う)

内容は漫画とコラージュと文が散りばめられていた。

河童モルヒネさんの漫画はノンフィクションなのだろうか。フィクションなのだろうか。わからないがまたそこが良かった。
物事に対する無気力さ無関心さと自分自身への呆れ具合、それでもどこかで自分自身に期待しているその姿が私のそれと重なって"すごくわかる"という安易な気持ちになった。
漫画もとても良かったけどトンネルの中を往復する男とそれに食べ物をやる女の話(文章)が個人的に好きだった。

ザジジ純個さんの漫画はカラーページのものがあり、彼女の色彩センスに脱帽した。
私は色彩センスが無いので羨ましい。
絵柄も温かみがあり少し印刷がすれてる感じ(多分そういう演出)がまた味を出していた。
コラージュもサイケな良い感じのものばかりでポスターとかにして部屋に飾りたいと思った。
ステッカーなども通販で販売してくれるらしいので期待している。

私も絵を描きたくなった。文章を書きたくなった。
そんな気持ちを掻き立てるものだった。

ということでした。
今後ともお二人の作品をチェックしていきたい。

10月

風呂上がりに涼しいどころか寒いと思う日が増えた。
あと3ヶ月も経てば来年になる。
2017年。
2001年に小学1年生になっているので来年の私は小学17年生か、などとくだらない事を考えた。

年末へ近づくにつれて焦りが出てくる。
でも、焦るだけで行動にも言動にも移さない自分自身に嫌気がさして途中で焦るのをやめる。
元々焦っていなかったのかもしれない。
これを毎年毎年飽きることなく繰り返しているような気がする。
職場の人に、人生を諦めた目をしている、と言われた理由がなんとなくわかった。

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サルスベリ

生活備品を買いに行く薬局へ行く途中の道にサルスベリの木がある。

桃色の花が咲いていて綺麗だ。

でも私はサルスベリの花よりも木の肌の方が好きなのだ。

普通の木のボコボコした肌と違ってツヤツヤしている。

木の肌がツルツルしているから猿が登ると滑る、だからサルスベリって言うんだよ。

と、死んだ祖母に小さい頃教えてもらったことがある。

その理由を聞いてから私はサルスベリが好きになった。
どのくらいの時代のどの人間がサルスベリという名前をつけたのかは知らないが、とてもセンスがあると思った。

祖母は植物に詳しかった。

他にも色んな植物の名前や種類を教えてもらったが忘れてしまった。

死んだ人間が教えてくれたことは当然のことだがもう二度と聞けない。

今思えば祖母がなんの花が好きだったのか、どの食べ物が好きだったのか、何色が好きだったのか、なにも思い出せない。

そこにあったはずの事実が無くなってしまったような感覚になり、悲しい気持ちになった。

 

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